黙っていても朝がくる

好きなモノにかこまれて生きていきたい。そんなアラサーが身の丈にあったかっこいい人生を夢見て、コーヒーとか音楽とか、あれこれ好きなものについて語っているブログ。

コーヒーの淹れ方を議論するのは難しい…

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コーヒーの淹れ方について議論するのって難しいよね、って話。

 

先日、とあるセミナーに参加し、複数人でコーヒーの淹れ方と味について検証するという機会があった。
内容としては、「あるテーマとなる豆があり、チームで時間内に何度か抽出をして検証し、自分たちの目指す味になるか」というもの。

 

この目的として、抽出の際にどのパラメーターをいじったらどう味が変化するか、というのを実感してみよう、というところでコーヒーの抽出の基礎練習みたいな感じ。

その時はそれぞれコーヒーの知識や学んだ場所もバラバラな5人がチームになって進めようとしたんだけど、これがまた難しかった。

メンバーのレベルとしては、ぼく含めまったくの初心者というよりは、ある程度勉強して、考えてコーヒーを淹れる意識がある人(=脱初心者〜中級者未満?)くらいの集まりだと思う。

 

そもそもスタート地点が違う。

まずスタート地点が違うので、走り始めることができなかった。

  • 目指す味(ゴール)を設定し、実現するためにはどうするかを考える
  • 抽出前に豆のそのものの味を予想(仮定)して、その特性を活かす方法を考える
  • まず一杯サンプルを作り、できた味のネガティヴな部分を改善する(=おいしくなる)方法を考える

味を求める方法として、どのアプローチも間違いではないと思う。
ただ今回の議論で感じた難しさの一つは、どのスタート地点から出発するかのコンセンサスをとることだった。

みんなスタート地点が違うから、いつもの自分と違う方法だとどうもしっくりこないというか、気持ち悪さみたいなものがあったんだと思う。共通のスタート地点を決められなかった。

最終的にだれかのやり方にみんなが従うことになるのだが。

方法が一つじゃない

コーヒーの味を調整するパラメーター(粉量、挽き目、抽出量、湯温)はある程度決まっているけど、またそれぞれのやり方というか、調整のやり方も違って、枝分かれしていく。

そうなると議論と言うか話し合いが上手く進まなくなってしまうことが多かった。

A「濃度を上げるために粉量を増やそう〜」
B「いや、粉量をいじるのは最後でしょう」
A「……。」

C「抽出効率を上げるために、湯温を高くしよう」
D「湯温って数度じゃそんなに味に変化がないって聞いたことあるけど…」
C「……。」

こんな感じ。
自分の思想と違うやりかたを提示されると、どうもスッと飲み込めないというか、なんなら「え!?それはないでしょ」といった否定的な姿勢で構えちゃうことも。

コーヒーの知識量が増えると他の人を認められる?

こうした議論の行き違いというか、会話が成り立たなかった原因は、むしろコーヒーの知識が足らないが故に起きたのだと、ぼくは思った。

 

というのも、コーヒーの淹れ方には正解がない。
違うアプローチでも同じゴールたどり着くこともできるし、アクロバットな方法でも高得点をだすことができる。

そのコーヒーの淹れ方の多様性を知らない(知ってても少ない)からこそ、自分と違ったやり方や意見を許容できなかったのかなと思う。

 

もしかしたら、コーヒーリテラシー超人同士で同じことをしたら、

「うんうん、その方法もあるよね。」
「その考えも可能性として考えられるよね。」
「じゃあいくつか出た案の中で一番効果が高そうなこれを試してみよう」

というように他の流儀の存在を知っているから、それ認めながら最適解にむけて話し合うことができるんじゃないかと思う。(想像だけど)
そもそもの目線が高いというか、小手先の良し悪しで判断しないんじゃないかなあ。(想像だけど)

 

一方で知識が少ないと、自分の学んだやり方や人から聞いた話、導き出した方法に固執してしまい、他者との違いを許容できないのかなと思う。

そうなると、正解がないだけに「この場合、こうなるから、こうしよう!」と声を大にした人の意見が通りやすい議論になってしまう。
特に自分のやり方が一番だ、と自信のある人ほど実際は違うアプローチがあるはずなのに、それに固執してしまう危険性があったり。

なんなら議論じゃなくてただの知識披露大会になっちゃったりして。

 

コーヒーの淹れ方って議論にむいてない?

自分の考えを持ちつつ、人の意見に耳を傾け、丁寧に話を進めることが大事になると思うんだけど、結局はコーヒーの淹れ方ってその自由度の高さから「ま、人それぞれのやり方があるし」という投げっぱなしジャーマンな帰結をしてしまうことも。

 

それにいろんな人が言ってるけど、コーヒーって淹れ方はどうあれ最終的にカップがおいしければそれでOK!ってところあるし、もしかしたらコーヒーの淹れ方って他人と議論するのには向いていないのかも?と今回の出来事で思ってしまったり。

COEみたいに味を評価したり豆の良し悪しを決めたりってことは議論の余地があるのだろうけど、特に淹れ方だけは十人十色だしなあ。

1人でシコシコとコーヒーに向き合って、その豆が一番美味しくなる方法をPDCA&トライ・アンド・エラーで追い求めるのが一番マッチしてるのかもね。

 

とはいえ、ある程度の知識を持ち合わせていないと土俵にあがれない(それはただの知ったか振りだ)、淹れ方についての引き出しをたくさんもっていれば、美味しいコーヒーにたどり着く手段も増えることを考えると、もっともっと勉強しなくちゃってことすね。