黙っていても朝がくる

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父親になる未来の自分へ 〜子育ての軸を考える〜

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実はもうすぐ子どもが産まれます。

 

予定日からいくと、何事もなければ1ヶ月以内にオギャーと産まれる予定です。(立ち会えるのか?立ち会えるのか、おれ!?)

第一子なので、何もかもが初めてでわからないことだらけで、ドキドキです。

 

そんななか、新米父親なりに子育てについて考えてみたいと思います。

 

 

 

子育ての軸を考える

こんなぼくでも、どんな風に子どもを育てようか、一応考えています。

 

産まれてくるのがどんな性格の子どもかわからないですし、今の段階ではただの理想論に過ぎないかもしれませんが、それでも自分の中での子育てにおける軸みたいなものを置いておきたいな、と。

 

ミッションステートメントじゃないですけど、軸があれば今後子育てに迷ったときに立ち返る指針になってくれると思うからです。

 

産まれてからはきっといろいろバタバタして大変だろうから、今考えていることを未来の自分に残しておこうと思います。なによりぼくは忘れやすいので。

きっと忘れた頃に読み返して、「あのときそんなことを考えていたのか!」と感心するか、呆れるかわかりませんが、それもまた面白いかなと。

 

今考える子育ての軸にしたいこと

人を思いやれる人にする

「こんな人になってほしい」って、親御さんそれぞれあると思うんですけど、まずぼくの場合は「人を思いやれる人」にしたいです。

 

運動神経がよくなくても、勉強が苦手でも、突出した才能がなくても、思いやりのある子にさえなってくれればいいです。

 

人を思いやれるって、言い換えると人の立場に立って考えて行動できる人ですかね。

 

ぼくも約30年生きてきまして、そのなかで人の立場に立って考えられない人にたくさん出会いましたし、悩まされたこともありました。(ぼくも偉そうなことは言えないですけどね)

周りの迷惑を考えずに行動する人とか、平気で恩を仇で返す人とか、自分の都合だけを優先する人とか。

おとなになって気づきましたが、世の中結構多いみたいですそういう人。

 

やっぱり「人を思いやれる人」のもとには人が集まりますし、逆に思いやってもらえると思うんですよね。なので、人を思いやることは回り回って、自分を助くことになると考えます。

それは日頃の言動の賜物だと思うし、すべての人間関係につながることだと思うので、自分自分というのではなく、ちゃんと人のことも考えるよう伝えていきたいですね。

 

自分で考える人にする

これはぼく自身に対する自戒でもあります。

物事を鵜呑みにせず、自分で考えて、咀嚼して、答えを出す人になってほしいです。

自分の幼い頃を思い返すと、考えることなくすぐに答えを求める子どもだったと思います。自分で考えることをせず、わからなければ手っ取り早く答えを得て、それでおしまい、という具合に。

けどそれだとダメなんですよね。

ゆとり教育の弊害なのかはわかりませんが(一応中1までは土曜日に学校行ってた)、社会人になり答えのない仕事をするようになって、より一層自分の考える力の弱さを思い知らされました。

数式と答えが決まっている仕事のほうが少ないからこそ、考え抜いて答えを自分で作ることが大切なんですよねえ。

 

考える癖っていうのはやっぱり習慣だと思うので、そこは小さいときから意識させてたいです。

どうかぼくのようにはならないでくれい。

 

食育を大切にする

これは子どもにどうなってほしい、というより自分の教育指針です。

食に関する躾は大事にしたいです。

 

大人になって思いますが、キライなものが多いとか、偏食で「あれも食べられない、これもダメ」っていう人は、あれちょっとキツいっすね。

一緒に食事してても、おいマジかって気持ちになりますし、自分の家族や親しい友人と食卓を囲むのも憚られます。

それに、これは個人的な所感ですが、好き嫌いが多い人って単純に自分勝手になりやすい気がしますね。自分調べですが。

小さい頃に食に関してワガママ言って許されてたからかな。

もちろん、誰しも食べられないものは少なからずあると思います。体調とかアレルギーとかも仕方ないです。

けれども、なるべく作ってくれた人に失礼のないよう、そして気持ちよく食べる人にしたいです。

食育、大事。 

そのためには、親としても美味しいものを食べさせてあげなきゃいけないですね。

 

ひろい価値観をもたせる

なるべく幅ひろい価値観をもつよう育てたいです。自分の価値観と違うものも受け入れられる人にしたい、とも言い換えられるかも。

 

自分の生活圏内だけが世界のすべてじゃないことを知ってほしいですね。

人種とか宗教とか思想とか、そういう人の多様性ももちろんですけど、音楽とか映画とか食べ物なんかも。

「自分はこれが好きだから、それ以外はいらない」ではなく「自分はあまり好きじゃないけど、それを好む人がいるのだからきっとイイ面もあるのだろう。」と考えられる人にしたいです。

視野が狭い人ほど浅い人間はないですからね。

だからいろんなものを、本当に幅広く見て聞いて感じさせたい。いろんな本を読ませて、音楽を聴かせて、映画を見せて、旅に連れて行って、世界が広いことを知ってほしいかなあ。

 

No暴力

暴力ダメゼッタイ。超基本。

ちなみに産まれるのは男の子なんですけど、女の子に手をあげるようなことがあったら、それこそ父親としてて鉄拳制裁ですね。殴るとかそういうことじゃなくて、教えを叩き込む。

 

けど、そうすると虫も殺せない子になっちゃうかな…教育って難しいな。

 

おわりに

こうして考えると、そもそも自分は親からどういう風に教育されたんだろうって思いました。

親もぼくを育てるうえでの軸ってあったんでしょうか。自分が2番目だったから、もうそういうのはノリというかバイブスで、みたいな感じだったんですかね。わからないですが。

いつか自分の親にも聞いてみたいと思いました。いまはまだこっ恥ずかしいですけどね。