黙っていても朝がくる

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とどのつまり内定式とはなんだったのか

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10月3日、昨日は内定式の企業が多かったのではないか。
今ぼくの働いている会社でももれなくリクルートスーツの学生が集まり、内定式をやっていた。
けど、よくよく考えてみると内定式って、何だ。

学生からみた内定式

やっぱり学生からしたら内定式って一つの節目だと感じるのかな。
彼ら(就活生)は、毎年のように選考解禁時期が変わるなど世の中と企業の板挟みとなり、就活サイトから送られてくる大量のメールを目にしながら、黒いリクルートスーツに身を包み説明会と面接に足を運んだ世代だ。学業よりも就活に比重が置かれたが生活が普通になり、幾度となく企業からお祈り(不合格)の連絡をもらいながら就活を続けた。内定式っていうのはそんな就活戦線をくぐり抜けたその先にあるセーブポイントみたいな感じなのかな。「企業が自分のことを内定と正式に認めてくれている」っていう安心感と、「同期がどんな人がいるのか」っていう好奇心が満たせる的な。

社会人からみた内定式

社会人になって思うのは、内定式って言ったって既に内定は出てるし、しかもそれを学生が承諾していれば会社と学生の間の話は終わってるわけで、ぶっちゃけ内定式ってやる意味ある?って印象。もちろん企業からすれば内定式は「前に承諾はしてくれたけど、ホントにくるよね?今さら辞退しますとか言わないよな?」という念押しの意味があるんだろうが、来ると決めた人は来るし、辞退する人はどんなに説得しても辞退するだろうから、はたしてどこまで内定式の効力ってあるのかな、と。

自分が新卒で入った会社ももちろん内定式があった。あまりよく覚えてないんだけど、人事部長さんから内定証書かなんかをもらって、その後会社の外に人事の人とランチ食いに行って解散とかそんなだった気がする。今思うと完全に形式的な内定式だった。

それでも、やっぱ内定式の日のことって覚えてる。思い出というか。その日自体になにも意味とか必要性みたいなものは無いんだけど、それでも「自分も来年の春からこの会社で社会人になるんだなあ…」って感じたことは覚えてる。学生から社会人になるっていう、待ち焦がれていたようで、逆にその時なると逆に来ないでほしいような、っていう変化の近づきを10月1日の内定式を通して感じたんだろう。

内定式からみる就活

 そもそも海外に内定式ってあるのか。軽くggってみたけどソレっぽいのは見当たらず。内定式じゃなくても、プレ・ジョインドパーティー?とかも無さそう。というかそもそもこんなサケ漁みたいな同時期一括採用のシステムは日本だけか。

海外の就活事情を調べると結構面白くて、やっぱり大半は学校を卒業してから就活するらしい。国によっては卒業後も就職せず過ごして、インターンとか経験した後就職するパターンとか。そういやぼくがヨーロッパ旅してた時も、ギャップイヤーのドイツ人と部屋が一緒になったりした。

採用時期も通年だそうだし、選考フローも面接一回とかで日本よりよっぽど短い。インターンでスキルについてはある程度わかってる前提なので、効率的に選考が進められる。その反面、実力主義・コネの重要性が増すワケで、うーんどっちの就活がいいのかなあ。

日本の就活のいい点としては、同期ができるってことか。オレたちバブル入行組じゃないけど仲間はできるし、ぼくも新卒で入った会社の同期とは今でも繋がってるから、そこはよかったと思う。けど、もしぼくが就活する年が去年のように8月選考解禁で、夏休みがまるまるパァになるとかだったら、もう恐ろしすぎる…。そうなったらなったで、就活してないかもしれないだが。

 

10月に入りこんなことを思ってみたり。
以上、駄文失礼しました。