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“行きつけ”のお店があるということ

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みなさん、“行きつけ”のお店って普通あるもんなんですかね?

ぼくが“行きつけ”と呼べる店ができたのは、本当にここ最近でした。それもコーヒーに興味が湧いて、いろんなお店に飲み歩くようになってからですね。

 

 

“行きつけ”のお店っていうと、飲み屋とかバーとか、個人でやってる飲食店とかそんなイメージ。けれども、ぼくはもともとお酒も全く飲まないですし、美味しいものは好きですけど通い詰めるほどグルメって訳でもなかったんで、“行きつけ”のお店っていうのがなかったんですね。

それに、なにより人見知りなもんで、お店の人に自分から話すことも苦手ですし、逆に話しかけてもらっても上手く話せず、中途半端に知り合ってしまうと「むこうは自分のこと覚えてないかな」「今いったら迷惑かな」「行ったはいいけどまた上手く話せなかったらどうしよう」と一方的に行くのが気まずく感じてしまうとか、あります。(ホントはもっと行きたい)

悲しき、人見知りの性ですね。

 

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けれども縁あって、“行きつけ”のお店ができたことで、人生おもしろいなって感じます。

 

他のお客さんとの知り合う

同じようにお店に来ているお客さんと知り合うのがおもしろいです。

年代も仕事も全然違う普段出会わないような人とも、お店をきっかけに仲良くなることがあります。そしてどんどん繋がりが広がっていく場合もあります。

友だちの友だちじゃないですけど、ただ何もなく出会うより、人は共通点があると距離が縮まりやすいですね。

そのお店がうまく自分にフィットするコミュニティになれば、お店に行くと誰かがいるっていう安心できるホームのように感じられます。

 

どんな人がどんな思いでお店をやっているのかがわかる

通っていると、お店の人ともよく話すようになると思います。そうすると、そのお店の人がどんな思いでお店をやっているのかがわかることがあります。それがぼくは好きです。

お店によって実現したいことや、お客さんになにを提供したいか、お店のプロダクトへのこだわり、などそれぞれ違った思いがあって、それがとても人間臭くて好きです。

特に個人でやっているお店は、店主の思いや哲学で成り立ってるところがあると思うんですね。お店の内装から提供されるものまで一つ一つが、店主の頭の中が具現化したものといっていいんじゃないですか。

良くも悪くもお店ってナマモノというか、変化していくものであって、それはお店の人の生き写しでもあるんですよねえ。

お客さんはそうした思い(≒お店の人)に惹かれて通うようになることが多いと思います。

 

“行きつけ”るうえで気をつけてること

ただ、自分が“行きつけ”るようになったら(常連になったら)、お客とはいえ人一倍お店について気にするようにしています。というのも、お店にとって邪魔な存在にならないようにするということです。

例えば飲食店の常連だからって、デカイ顔して周りを気にせず騒ぐようなのはダメです。他のお客さんが来たくなくなるような閉鎖的な態度は最悪です。

お店は常連(定期的にお金を落とす人)で支えられているのも事実ですが、それだけで新しいお客さんが来ないようでは必ず潰れるからです。

だから、別に営業かける必要はないと思いますが、なるべく新しいお客さんが馴染めるよう協力したいと思います。

長く居座ってしまったら席を譲る、お店の人が忙しそうなら声を掛ける(ダル絡みはNo)、とか些細なことですけどね。みんながハッピーになれるように。

 

“行きつけ”のお店があるということ

いつ行っても、変わらず温かく迎えてくれる場所(お店)があるっていうのはいいものです。

家とも職場ともちょっと違う、程よい人との距離感のアットホームな場所があるっていうのは、生きていくうえでのオアシスみたいな場所なんじゃないですかね。

そんな“行きつけ”のいいところが見つかることを願ってますね。