昨日、テレビ東京の『ガイアの夜明け』で無印良品の新製品コーヒーメーカー「豆か挽けるコーヒーメーカー」の開発ストーリーを放送していた。
こちらの商品は、コーヒーハンター川島良彰さん、そして川島さんのお店のミカフェートの監修だという。
番組には川島さんも出演されていて、完成された商品で淹れたコーヒーを「クリーンで美味しい」とおっしゃっていた。
このコーヒーメーカーの製造元はツインバードらしく、ツインバードといえばうちにもAmazonで安く買った掃除機があったり、安い白モノ家電メーカーというイメージがある。そこが作ったコーヒーメーカーって、ぶっちゃけどうなの、っという穿った先入観を持ってしまったのは否めないが、ミカフェートが名前を貸すくらいなので本当に美味しいのだろう。
川島さんもビジネストークというか、TVが入っているので大人の対応したのでは、とかそんなことではなくって、ぼくがこの番組を見ていて、将来コーヒー屋はロボットに仕事を奪われるのか、ということを思ってしまった。
人VSロボット
コーヒー屋のなかでも、ハンドドリップでやってるコーヒースタンドなんかは、上記のような高性能(と言っておく)なブリュワーマシンが増えていけば、そこにいるバリスタの仕事は取って代わってしまうかもれない。
ハンドドリップは抽出のなかでも不安定で再現性が他の抽出方法とくらべて低いと言われているだけに、安定して同じ味が出せるマシンが勝る余地がある。
一方で、豆の状態や気候・気温などの外的要因を加味して、微妙に抽出を変えるといった、職人的な調整はやはり熟練バリスタの腕に軍配があがるかもしれない。
ビッグデータ・機械学習・ディープラーニング・コーヒー
それでもITの進化とは恐ろしいもので、抽出時のデータを採集しまくって、機械学習で覚えさせたら、豆の取り巻く環境を分析して、最適な抽出をし始めるコーヒーロボットが開発されても驚かないなあ。(IT素人なのでざっくりとしたイメージだけど)
実際に、以前行ったスペシャリティコーヒーを出すタリーズにあったセラフィムなんかも、その先駆けなんじゃないかな。
生身の人間が淹れるコーヒーに求められるもの
もしこの先、ロボットによるコーヒーがますます美味しくなって、人の手を必要としなくなってきたとき、コーヒー屋はどうすればいいのか。
個人的には、コーヒーの味そのものだけでなく、コーヒーを飲みにいくことで得られる体験にもっと価値が置かれるんじゃないかと思う。
というのも、コーヒーを飲みに行くっていうのは、コーヒーそのものを味わいにいくっていうのもあるけど、多くの人にとってはそれに付随する
- 一息つくため
- 緊張を和らげるため
- 気合をいれるため
- のんびり本を読むため
- 友だちとおしゃべりするため
といった経験をしに行くという側面が強いと思う。
だからコーヒーのクォリティの差がなくなってくるなかで、どれだけ来る人にとって居心地の良い体験ができるかどうかが、コーヒー屋の価値に直結してくるんじゃないかな。
コーヒー屋がコーヒーで勝負しなくなるって矛盾してるような気もするんだけど。
まぁ今もこれからも、いくらおいしいコーヒーをだすところでも、口うるせぇ頑固おやじがグチグチ言ってくるみたいな居心地の悪いお店に人はつかないってことだ。
おわりに
これからいろんな仕事・職業がロボットに奪われていくと言われている。
けれども個人的にはコーヒーはもちろん、特に人の手によって作り出されるものは、いくらロボットの性能が高くなっても取って代わらない良さがあると信じてる。
うまく説明できないんだけど、音楽で言うところのグルーヴというか、完璧でない精度であるが故に発生するブレが、逆にいい味をだすみたいな。
あとは作り手の想いとか、クラフトマンシップとかね。
最後は急展開的に精神論の話になってしまったけど、これからも人だからこそ生まれる、想いの強さがモノの価値であり続ける世の中であってほしいなあ。