黙っていても朝がくる

アラサーがコーヒーとか音楽とか、あれこれ語っている雑記ブログ。ずっと好きなものに囲まれてたい。

街の個人店にお金を落とす

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実はぼくは将来的に店を持ちたいという野望を持ってる。(今のところまだ具体的なことはなにも決まってないけど)

それは開業・起業する、経営者になるっていうことだけど、そう考えるようになってから自分でお店に行った時の視点も変わってきた。

 

  • この店の席数、坪数はどのくらいかな
  • メニューがこれで、周りの人が頼んでる様子から客単価はこれくらいかな
  • そこから察するに月の売上はこれくらいは必要だろうな
  • そもそもここがやっていけてるのはなんでだろうな

 

まあ人の懐事情を探るようでなんともイヤな客だ。けれどもそれって経営者視点というか、紛いなりにも店をやろうと考えてる人は必要なことだと思ってる。(もちろんお店の料理、飲み物も楽しむよ!)

と、ここまで書いたけど、実は今日ホントに書きたいことはそういうことじゃなかったり。

地元、個人店にお金を落としたい

もし店をやるなら、雇われ店長とかフランチャイズじゃなくて"自分の"店を持ちたいと思ってる。そりゃ店の名前とかメニューとか内装とか自分でこだわって決めて、誰の店でもなく自分の店として商売していきたいところはあるよね。

けどそれって簡単じゃないことも容易に想像できる。大手流通業のショッピングモールが街の商店街をシャッター街にしていったように、個人店がどんどんチェーン店に変わっていっている昨今だし。

それがわかっているのに店をやりたいなんて結構思い切った考えなのかもしれない。だけどやっぱり個人店には個人店の魅力があると思うんだよね。

 ここからが本題で、そういう苦労とか大変さがわかるからこそ、いまでも生き残ってる個人店にはお金を落としていきたいって思うようになった。特に地元とか、住んでる街の。

 個人店のない街はつまらない

ぼくは東西線の行徳に住んでるんだけど、隣駅の妙典は比較的歴史が浅い。それに駅前にでっかいイオンが鎮座していて、イオンの城下町って感じ。だからどこか作られた街に見えてしまい、無機質に感じられて寂しい。(妙典にももちろん昔っから営業してる個人店もあると思うがイオンの印象が強すぎてってこと)

やっぱり街ってその街に住んでる人たちによって作られるものだと思う。そこから街の色っていうのがでるんだろうし。

その点、いま住んでる行徳は比較的昔ながらの個人店が多くておもしろい。(居酒屋とかとんかつ屋とか喫茶店とかゲーム屋とか)おもしろいから、これからも行徳の風景の一つとして残っていてほしいし、そのためにはぼくたちがそのお店にお金を落とすことが必要になるってことだ。

個人店は思い出になる

誰しも思い出の店っていうのはあると思う。ぼくの場合幼い頃に親に連れて行ってもらったちゃんぽん屋とか、学生の頃バイトしてたとんかつ屋とか、前に川口に住んでいたときに通っていたイタリア料理屋とか。もちろんチェーンの牛丼屋やカフェだって思い出の店になり得るかもしれないけど、そこには当時を思い起こさせるモノはあるだろうか。いつか思い出した時に行ける"あの店"であってほしいよね。もし有名になって、ウチくる!?にゲスト出演することがあった時に、インタビューされた店主が自分を思い出してくれる店があってほしいよね。

経営者の思い

どんなに小さなお店でも、めちゃめちゃ儲かってるわけじゃなさそうな店でも、存続してること自体がすごいことなんだ、と。例えば飲食店の生存率なんて1年で50%、10年で10%(実際もっと少なかったりして)とか言われてる。そんななか「昔っからこの店あるよな」っていうところあるけど、そこの店主(社長)って超優秀な経営者でしょ。潰れないだけの利益をだし続けてるってわけだし。(別の収入源や不労所得があるのかもしれないけど。)経営者の優れたコンセプトやビジネスモデル、加えて客からの根強い支持がないと営業し続けることは不可能だ。それってホント経営者の努力の賜物だと思うし、そんな人が集まってる街ってきっとおもしろいに違いない。

 

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というようなことを今日不在者投票に行った帰りに街のとんかつ屋に行きながら考えたりした。

駅前の松乃家で500円程で食べれるところを、あえてぼくは少し遠くの街のとんかつ屋に行き、そこで落としたロースカツ定食代によってその店ないしは行徳の街を支えるのに少しは貢献できたのかな。

なんて、さすがに恩着せがましいにもほどがあるか。